巨大建造物として発見された
アグアダ・フェニックス
考古学者の猪俣 健(たけし)教授と
その研究チームが、
メキシコ湾岸タバスコ州の低地で
マヤ遺跡の発掘調査を始めた当初、
足元に何が埋まっているのかは
全く予想していなかった。
だが彼らは後に、
古代マヤの歴史観を揺さぶるほどの
巨大な建造物を発掘することになる。
現在、「アグアダ・フェニックス」
として知られるこの遺跡は、
長らくジャングルの中に埋もれていた。
猪俣教授は遺跡を掘り進めるにつれ、
泥灰岩と石灰岩の岩盤を削り出した、
広大な十字形(クロス型)の
穴の縁に立っていることに気づいた。
その穴の内部には、
北側に鮮やかな青色のアズライト
(藍銅鉱)顔料、
南側にゲーサイト
(針鉄鉱を主成分とする鉱物)
を含む黄土色の顔料、
東側に緑色のマラカイト
(銅を主成分とする鮮やかな緑色の鉱物。
孔雀石とも)顔料、
西側には大西洋産ミルクコンク、イシガキ、
アコヤガイなどの貝殻が配置されていた。
さらに、
翡翠(ひすい)の遺物や、
赤土で彩色された斧形の粘土製品も発見された。
十字型構造物と
水利システムの存在
さらに調査を続けると、
この遺構は互いに重なり合う
十字型構造物のグループのひとつであり、
その中でも最大級のものであることが判明した。
この構造群は運河
(一部は未完成)とつながっており、
近くのナランヒート湖から
水を引くためのダムまで設置されていた。
遺跡が何らかの儀式の場で
あったことは明らかであったが、
教授はやがて、
目の前に広がるのが巨大なコスモグラム
(宇宙の秩序を形にした幾何学的な地図)
であることに気がついた。
これは古代マヤの人々が世界をどう捉え、
どのように暦を生み出したかを示していた。
さらに、
この遺跡は約3,000年前のものであり、
初期マヤ文明には巨大建築物は
存在しなかったという従来の考えを
覆す発見であった。
社会構造と建設への参加のあり方
猪俣教授は、
学術誌
『サイエンス・アドバンス(Science Advances)』に
掲載された論文で「集団的な儀式や祝宴、
物品の交換といった魅力に加え、
宇宙の秩序を具現化するコスモグラムの構築は、
多くの人々が強制されることなく
自発的に社会に参加する動機を与えたと考えられる。
また、
アグアダ・フェニックスの発展は、
顕著な格差が存在しない状態でも、
人間の組織力が発揮されうることを
示している」と述べている。
アグアダ・フェニックスは、
羽飾りの冠を戴く王の存在やマヤ文明後の
時代に出現する社会的階層がなくても、
巨大建築が可能であったことを示している。
その規模は後世のメソアメリカ都市遺跡に
匹敵するほどである。
また、この遺跡には住居の痕跡がないため、
定住地ではなく儀式的な集会の
場であったと考えられている。
この構造物が利用されていた当時の
アグアダ・フェニックスの人口は不明だが、
この規模の建築物の資材を
岩盤から掘り出すには、
少なくとも1,000人以上の作業員が
数年間かけて作業する必要があっただろうと、
猪俣教授は推測している。
顔料と遺物が示す
象徴性と交易ネットワーク
穴から見つかった顔料や遺物は、
メソアメリカにおいて方角を象徴するために
色が使われた最古の例と考えられている。
アズライト顔料は紀元前100年以前の
メソアメリカ美術には見られず、
洞窟壁画でマラカイト顔料が使用されたのも
アグアダ・フェニックスよりもさらに後の
時代となってからである。
また、
マヤ低地で唯一現地調達できた顔料は
黄土であったため、
マラカイトやアズライトはおそらく高地や
メキシコ西部の銅鉱床から商人によって
持ち込まれたと推測される。
この遺跡の象徴性が、
後のマヤ時代とどのように
異なるのかも興味深い点だ。
貝殻は水を象徴していたと考えられ、
マヤにとって水が儀式的に重要であったこと
(水は生命と同義と見なされていた)と一致する。
これは遺跡に運河が造られた
理由にもつながる。
後のメソアメリカ文明では、
太陽が西に沈むことに基づき、
その方角を暗く深い水に沈む
死者の世界と結びつけた。
貝殻もまた、
後のマヤにとってさらなる意味を
持っていた可能性がある。
社会的階層がなくとも
巨大建造物を建設
この巨大な穴は、
厳格な社会階層が確立する以前にも、
壮大な建造物が建設可能であった
(実際に建設された)ことを示すが、
アグアダ・フェニックスに集まった人々の中には
指導者が存在した可能性も依然としてある。
猪俣教授はこの遺跡が、
暦や天文学の知識を持つ
コミュニティの指導者によって
設計された可能性が高いと考えている。
遺跡には住居の痕跡は残っていないものの、
彼らはここに住んでいた可能性がある。
またコミュニティの指導者は、
神秘的な知識だけで人々を
遺跡に引きつけることができたため、
行事や儀式への参加を人々に
強制する必要はなかったと推測される。
「オルメカ(紀元前1200年頃から栄えた
メソアメリカ最古の文明)の彫刻が
支配者やエリート層の力を象徴する
超自然的存在を強調しているのとは対照的に、
アグアダ・フェニックスで発見された
石の彫刻や翡翠の遺物は、
動物や女性を自然主義的に表現し、
人々の日常生活に根ざしたイメージを与える。
つまりアグアダ・フェニックスは、
顕著な社会的不平等がない集団であっても、
大規模な水利施設や巨大建造物を
建設可能であったことを示す
新たな証拠となった」と、
猪俣教授は話している。




