
「あれもほしい、これもほしい」
が苦しみの原点
みなさんは仏教にどんな印象をお持ちでしょうか?
「南無阿弥陀仏という念仏を唱えて、
お釈迦様という神様を信じる宗教ですよね?」
このように考えておられる方も、
いらっしゃるでしょう。
でも、じつはまったく違います。
本来の仏教は神様に祈りを捧げたり、
仏にすがったりする宗教ではありません。
仏教のテーマは「心」です。
自分の内側にある思いを見つめ、
誰もが抱えている悩みや苦しみを少しでも減らし、
明るく生きられるように努めていくこと
これがブッダの説いた教え、
すなわち仏教なのです。
仏教は、神様ありきではなく、
自分ありきで成立します。
そこが、
ほかの宗教と大きく異なる点といえるでしょう。
人間には欲望というものがあり、
これが大きくなればなるほど苦しみも
大きくなっていくということに、
ブッダは気づきました。
「良い学校に入って、
良い会社に就職したい」
「良い条件の相手と結婚したい」
「たくさんお金を稼いで、
豪邸に住んで豪華な生活をしたい」
現代でいうならば、
このような欲望です。
人々は、
こういった欲望が満たされると
幸せになれると思っています。
でも、この欲望には際限がありません。
ひとつ手に入れても、
「あれもほしい、これもほしい」と
ほかのものがほしくなり、
ついつい他人と比べ、
「もっともっと」ほしくなってしまうからです。
そしてこの「もっと」が、
苦しみを増長させるのです。
苦しみの原因を外に求めている限り、
苦しみが消えることはなく、
ひいては幸せにもなれない
ブッダはそのことを発見したのです。
そして、本当に幸せになりたければ、
自分の内側(心)に目を向け、
自分の思いを整えていくように努力する
必要があると説いたのです。
つまり、
「自分の心の壁」を乗り超えて
いくことができれば、
抱えている悩みを手放し、
もっとおだやかな心で生きることが
できるということです。
幸せのヒントは
「自分の内側」にある
この「努力」は、
私たちが考えている努力とはちょっと違います。
私たちは、
先ほど述べたような「良い○○」を手に入れるために、
人よりもたくさんお金を得て経済的に恵まれた
生活をするために努力をしている、
あるいは「努力をしなさい」と
言われて育っている方が多いと思います。
それがすべて間違っているとはいいませんが、
このように自分の外側にあるなにかに幸せを求める、
それに依存していく生き方は「もっともっと」
という苦しみを生むことにつながります。
そうではなく、
仏教では自分の内側を整えて、
「心の中にある苦しみを手放すために
努力していくこと」を目指しているのです。
そしてブッダは、
その方法、道しるべを示しました。
「人生は一切皆苦。すなわち、
すべては苦からスタートするので、
それを受け入れるしかない。
そのためには、智慧を育てて、
抱えている苦しみを手放し、
明るく快活に生きていこう。
生きることは、
苦の連続。どうせ老病死の
苦悩から逃れることができないならば、
現実を徹底して見つめたうえで、
できる限り楽しく生きていこうじゃないか」
わかりやすくいうと、
そんなメッセージを残しました。
仏教は
「神様の教えに従うだけで幸せになれる」
「なにかを信じれば救われる」
というものではありません。
「このように考え、実践すれば、
悩みや苦しみを手放せる」
という思考法と実践法です。
仏教が説く苦しみへの処方箋は
「悪しき心やマイナスの感情(これを
不善心所といいます)を捨て、
善き心やプラスの感情
(これを善心所といいます)を
育てていく」ことにあります。
対症療法ではなく原因療法(根本療法)。
全部実践することは難しくても、
これを少しでも実現できれば、
今よりも生きやすい世界が目の前に開けるのです。
2500年前の智慧が
「今ある悩み」を
手放すツールになる
「仏教の考え方って、
アドラー心理学によく似ていますよね」
こうおっしゃる方をよくお見かけします。
仏教のことを勉強され始めて間もない方に
多くいらっしゃる印象です。
これは、
順番が逆なのです。
仏教がアドラー心理学に似ているのではなく、
アドラー心理学が仏教に似ているということです。
心理学者のアルフレッド・アドラーが
この世に誕生したのは1870年であり、
アドラー心理学を提唱するようになったのは
20世紀に入ってからのことです。
それに対し、
ブッダが仏教を確立したのは今から
約2500年前の紀元前5世紀ごろのこと。
「心の平穏を得るために、
いかにして苦しみを手放すか」という
両者の基本テーマは同じながら、
学問としての歴史の長さが違います。
アドラーさんが活躍した時代には、
ヨーロッパでも仏教が盛んに研究され、
多くの学者に影響を与えていましたから、
アドラーさんも少なからず、
仏教の影響を受けていたのかもしれません。
そんな仏教には
「三蔵」と呼ばれる学問体系が存在します。
これは仏教を学ぶうえで欠かせない姿勢、
習得すべき学問のことを指す言葉で、
「経・律・論」という3つのパートで構成されています。
「経」は、「ブッダの教え」のことです。
35歳で覚りを開かれたブッダは、
80歳で亡くなるまでの45年間、
各地を歩いて教えを説き、
多くの人々を苦しみから救いました。
そのブッダに付き添い、
誰よりもブッダの教えを聞いた弟子が
アーナンダでした。
ブッダ亡きあと、
アーナンダを中心としてまとめた
ブッダの教えが「経」です。
「律」は、守るべき集団ルールのこと。
「1人だと怠ける。
2人だと喧嘩をしたら終わり。
3人だと2対1に分かれて対立する。
だから、
4人以上で集まって、
助け合い、
励まし合いながら修行する」
ブッダはこのように弟子たちに勧めました。
この修行者の集まりのことを"サンガ"と呼びます。
4人以上が集まれば、
生まれ育った環境や持っている考え方が
違って当然なので、
全員が折り合って争うことなく
生活していくための決まりが必要。
それが「律」です。
「論」は、経や律に対しての注釈書、
または、
経や律について後世の弟子たちが
独自の理論をまとめたものです。
この「経・律・論」を総称して
「三蔵」と呼び、
三蔵すべてに習熟したお坊さんのことを、
三蔵法師と呼びます。
三蔵法師といえば、
中国の小説『西遊記』に登場する
キャラクターが有名ですが、
あれは固有名詞ではありません。
歴史上、
「三蔵」をマスターした法師はたくさんおられるのです。
仏教には
「苦しみの手放し方」の
答えがある
さて、ここからが本題です。
三蔵の最後の「論」のなかに、
人間の心について詳細に分析した
「阿毘達磨(あびだるま)」という解説書があります。
わかりやすく表現すると、
仏教心理学の教科書です。
2500年前の教えが現代でも通用するの?
そんな疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。
でも、心配はいりません。
通用するからこそ、仏教は廃れることなく
連綿と伝えられてきたのです。
そして、歴史上の多くの心理学者の
方々も参考にしてきたのです。
仏教では、
私たちが抱えている悩みや苦しみが、
どのようにして生まれてきて、
どんな性質をしていて、
心身にいかに悪影響を及ぼすのかについて、
体系的に、
そしてきわめて論理的にまとめられています。
そして、
「どうやって苦しみを手放していくか?」
という問いに対
する解決方法が、とても細かく、
理路整然と示されています。
しかもその内容は、
現代の科学者がいろいろな調査を重ねて
突き止めたことや、
心理学者が常識として口にする
「今のやり方」につながっています。
ブッダは2500年前の時点ですでに、
その領域に到達していたのです。
いうなれば、
ブッダは「心のマスター」である
プロサッカー選手は、
サッカーのマスターです。
料理の鉄人は、料理のマスターです。
ブッダはいうなれば"心のマスター"であり、
その教えを学び、実践し、
悩める人々に伝えるのが私たち僧侶の役割です。
仏教を学問として学ぶのではなく、
心をおさめるトレーニングとして
積み重ねること。
それを修行と呼びます。
私はどこかで心理学を
学んだわけではありませんが、
YouTube『大愚和尚の一問一答』で、
多方面からのお悩み相談を
受けることができるのも、
ブッダの教えを学び、
修行しているからでしょう。
だからこそ、
仏教はあなたの悩みや不安の解消に
きっと役立てていただけるのでは
ないかと思っています。
ブッダが導いた答えは、
それだけ実用的で、
効果的なのです。



