2025/12/5

地球寒冷化で文明崩壊寸前… 9割死亡の中国大陸から 逃れた人々が日本にもたらした “恐るべき病”とは

 
 
 
 
 
 
 
 
 

地球寒冷化で文明崩壊寸前…

9割死亡の中国大陸から

逃れた人々が日本にもたらした

“恐るべき病”とは

 
 
 
 
 

九州の地に眠る記憶をたどり、
 
リアルな倭国の姿を描く歴史探訪記。
 
 
宇佐の古代豪族「宇佐国造」の末裔が、
 
自らのルーツと倭国の歴史をたどるため、
 
各地の古墳や伝承地を巡る。
 
 
 
既存の定説にとらわれず、
 
地形・考古資料・文献から独自に考察した
 
歴史調査報告を通して、
 
新たな歴史の輪郭を描き出す。
 
 
 
 

 

歴史調査報告書01 

宇佐風土記の丘にて想う

 
 

大分県宇佐市にある宇佐風土記の丘には、

三世紀から六世紀にかけての

古代菟狭津彦を埋葬した前方後円墳が六基ある。

 

その始まりは赤塚古墳だった。

 

その終わりは鶴見古墳であり、

そこには継体・欽明王朝交代という

衝撃のドラマの闇が隠されていた。

 
 

宇佐に赤塚古墳が誕生したのは、

前方後円墳が各地に一斉に出現し始めた

三世紀中期以降の時期に重なっている。

 

 

前方後円墳は、

それまでの円墳などに比べれば技術的に複雑だ。

 

九州豊国の地でこの古墳の築造が最初に始まった。

 

その後この技術は、

九州、岡山、京都、奈良等で同時期ではないが、

共有が拡大していった。

 

 

今回は古代菟狭津彦と彼らを取り巻く

環境について調査を行った。

 

 

 

 

 

調査のスタイルとしては、

まず歴史文献から宇佐氏が残した足跡を探し出して、

それを歴史報告書という大きな括りにまとめる。

 

 

次に関連するキーワードに対しての

文献や考古学資料をまとめる。

 

いろいろと推論を巡らせて、

その推論に矛盾がないかを検査する。

 

当然矛盾だらけなので、

可能性が高い推論を再構築していく。

 

 

最後は現地に赴き、

その推論が正しそうかを含めて見てまわる。

 

大概は海が陸になったり、

山がゴルフ場になったりしているが、

とにかく感じるものをそこから持って帰るだけだ。

 

 

こんな感じで、

これからの歴史報告書は作られていく。

 

だから定説ではどうだとか、

これまでの議論の積重ねがこうだとかは、

ここには反映しないことにしている。

 

反映したら、

逆に矛盾を抱え込んでしまう可能性が高いのだ。

 

そうやってまとめる歴史報告書に多くの方が

驚くかもしれないが、

わたしとしてはこちらの方が真実により近いと思っている。

 

 

赤塚古墳や石塚山古墳のような

前方後円墳はいきなり登場したのではない。

 

田川郡香春町に宮原古墳(二世紀頃)が存在する。

 

これが前方後円墳のモデルとなった。

 

 

後程詳しく書くが、

この地には邪馬壹国北部をまとめる

伊都国が存在していた。

 

こう書くと伊都国は糸島だろうと

思う人もいるかもしれない。

 

しかし本来の伊都国は、

こちら田川郡香春町にあった。

 

邪馬壹国の後、

物部氏の台頭とともに、

この前方後円墳という古墳形態が

各地の王族の間で出現した。

 

 

このことは秦氏が本格的に渡来してくる

西暦400年代より二百年も前に始まった。

 

物部氏が台頭する直前、

帯方郡に勢力を張っていた公孫氏が滅ぼされている。

 

 

世界的な気候変動で全地球が寒冷化しており、

中国全土の死者も当時の人口の

九割とも予測されている。

 

そのようななかで、

日本列島は黒潮の影響なのか

中国大陸に比べれば変化が

小さかったと推測される。

 

ただそれでも甚大な被害が出たことは、

日本書紀の崇神記に多くの者が

疫病で死に絶えたという記述からも推察できる。

 

 

中国大陸からの避難民が、

日本列島に疫病を持ち込んだことで

パンデミックが引き起こされたのが

この状態に当てはまるだろう。

 

特に大田田根子が大物主神を鎮める物語は、

物部氏は疫病などを祓うシャーマンとして出現し、

 

倭国の多くの王族から信任を得るに

至ったことを如実に物語っているのではないだろうか。