2024/9/3

「ユリ・ゲラー」テレビ初出演から50年…

 
 
 
 
 
 
 
 
 

「ユリ・ゲラー」テレビ初出演から50年…

矢追純一氏が語った

「特番の舞台裏」と「超能力ブーム」

 

 
 
 
矢追純一

 

今年の7月で89歳を迎えた矢追純一氏(他の写真を見る

 
 
 
「裸の宇宙人で女性」「おそらく本物」と
 
称する画像をSNSに投稿して話題を呼んだ。
 
 
 
スプーン曲げといった彼の能力は
 
その真贋が議論の的になったが、
 
今年77歳を迎えてもなおオカルト界の有名人である。
 
 
 
1974年、そんな彼を初めて
 
日本のお茶の間に登場させたのは、
 
当時、
 
日本テレビのディレクターだった矢追純一氏だ。
 
 

 満州で終戦を迎えた矢追氏は、

 

突然路頭に迷うという少年時代の苦難により

「世界はもっと複雑で、不確かなもの」といった

 

価値観を得るに至った。

 

既存の理屈では説明しきれないパフォーマンスを

行うユリ・ゲラーとの出会いは、

ある種の必然だったのかもしれない。

 

日本はなぜユリ・ゲラーと超能力に熱狂したのか。

矢追氏のコメントを交えつつ、その謎を追った。

 

 

日本中に大変なことを起こしてみせる

 
 

その番組は、

司会の三木鮎郎のこんな言葉で始まった。

 

 

「テレビの前にお集まりの皆さん、

今夜は現代最高の超能力者、

今やアメリカをはじめヨーロッパ各地でも、

最大の話題を巻き起こしている、

念力男ユリ・ゲラーの驚くべき超能力の数々を

ご覧いただきます。

 

どうかいますぐ、

あなたの家族、恋人、お友だちに連絡してあげてください。

 

そしてこの現代の奇跡とでもいうべき、

すばらしいビッグイベントを、どうぞお見逃しなきように」

 

 

 時は昭和49(1974)年3月7日。

番組タイトルは「驚異の超能力!! 

世紀の念力男ユリ・ゲラーが奇跡を起こす!」。

日本テレビの「木曜スペシャル」、

ディレクターは矢追純一である。

 

 

三木鮎郎はさらにこう続けた。

 

「ユリ・ゲラーはきょう現在、カナダにいるのですが、

この番組の放送中に、

遠くカナダからこの日本に念力を送って

日本中に大変なことを起こしてみせると予告しております。

 

その時間は8時35分。

いまから1時間ちょっとですね。

いったいなにが起こるのでしょうか、

ご期待ください」

 

 

 ユリ・ゲラーは、

この日に先立つ2月24日に日本テレビのスタジオで

収録を終えており、

その日の番組は、

その放映とスタジオからの生放送という構成で進行した。

 

彼は、壊れた時計や、

使わないフォークやナイフ、スプーンなどを、

テレビの前に持って来てほしいというメッセージを残していた。

 

カナダから念力を送る夜8時35分、

その壊れた時計は動き出し、

フォークやスプーンが曲がるというのだ。

 

 

次々と名乗りを上げた“スプーン少年”

 

 生放送のスタジオ内には、

数十人の女性の電話オペレーターが待機しており、

三木鮎郎は「もし時計が本当に動き始めたり、

フォークやナイフが曲がり始めたら、

どうか日本テレビにお電話をいただきたい」と、

視聴者に呼びかけた。

 

日本全国で起こるであろう超常現象を、

視聴者からの報告で証明しようという試みだった。

 

 全国のお茶の間で、

いったいどのくらいの人々がこの“実験”に参加したことだろう。

 

当時小学生だった筆者もテレビの前にフォークを持ちだし、

固唾を飲んで画面を見守った記憶がある。

 

 

 この番組をいま改めて見なおすと、

挑発的なタイトルとは裏腹に、

意外にもシンプルで実証的な番組だったことがわかる。

 

劇的な音楽や効果音はほとんどなく、

テロップは最小限。

 

ユリ・ゲラーのフォーク曲げなどが行われた

収録の場面などは、

ただ延々と彼の手元を映し出すだけ。

 

スタジオに鳴り響く電話のベルの音と

それに応えるオペレーターの声が、

唯一の効果音ともいえる。

 

そのシンプルさが逆に、

番組の緊迫感を盛り上げていた。

 

 

 番組のインパクトはすさまじかった。

放映後、全国から

「僕もフォークやスプーンを曲げられた」と言う

“スプーン少年”が次々と名乗りを上げた。

 

週刊誌やワイドショーでは、

曲がったフォークや動き出した時計が追跡検証され、

連日のようにユリ・ゲラーは本物かインチキか

という論争がくりひろげられた。

 

いわゆる超能力ブームが巻き起こったのだ。

 

 あの当時、

なぜ日本国民はかくもユリ・ゲラーと

彼の超能力に熱狂したのだろうか。

 

 

舞台だけを用意したつもり

 

 同番組のディレクターだった矢追純一。

その後、

木曜スペシャルの“UFOディレクター”として数々の

UFO番組を世に送り出した後、

日テレを退社、

現在は独自の視点から人間の在り方を説く

「宇宙塾」(http://spacian.net 

編集部註:2024年現在は

「矢追純一オフィシャルサイト」)を

主宰するなどの活動を行っている。

 

 

 矢追は、ユリ・ゲラーの番組制作にあたって

何を意図し何を考えていたのか。

 

今回あらためて話を訊くと、

まずこんな答えがかえってきた。

 

 

「自分としては舞台だけを用意したつもりでした。

 

台本も何もなく、

基本的にユリ・ゲラーの好きなようにやらせました。

 

今のテレビ局のディレクターやプロデューサーは

思考が論理的なので、

先に企画を立てて、

内容や構成をある程度考えた上で番組をつくるじゃないですか。

 

実はそれが一番つまらない方法なんです。

 

ユリ・ゲラーという人間は、

ある空間の中に放り込んでほうっておくのが一番面白い。

 

いわばエンタテイメント・ドキュメンタリー。

 

僕はドキュメンタリーのつもりで、

あの番組をつくったんです」

 

 

 2月24日の収録スタジオには、

160名の観衆がユリ・ゲラーを囲むように客席に座っていた。

会場レポーターは児島美ゆき。

ゲストには栗田ひろみと沢チエ。

知識人と科学者の代表として、

参議院議員の今東光、

元ハワイ大学教授(情報科学)の関英男、

防衛大学教授(超心理学)の大谷宗司がよばれていた。

 

 

 その日のユリ・ゲラーは、

赤いシャツに黒のレザージャケットという服装。

 

軽くウェーブがかかった黒く豊かな髪の毛が印象的な、

穏やかな青年といった風情だった。

 

 

6分以上フォーク曲げを映し続けた

 

 最初は、

女性が別室で描いた図形をテレパシーで当てるという実験、

次に鍵の入った缶を透視で当てるという実験を行なった。

 

そこまでが“小手調べ”で、

番組開始から約30分後、

いよいよフォーク曲げが披露されることになる。

 

 

 ユリ・ゲラーは局側が用意した

フォークやナイフの中から1本のフォークを取り上げ、

柄の付け根の部分を親指と人差し指で

つまむようにして持ち、

静かに擦り始めた。

 

 

 スタジオ内の視線は、

彼の指先に注がれる。カメラもフォークを擦る指先をとらえ続ける。

 

ユリ・ゲラーは、

ときどき左手と右手を交代しながら擦り続けた。

 

途中でゲストの栗田ひろみにフォークの柄の部分を持たせ、

指先に力を入れていないことを確認させたりする。

 

 

 すぐ横に坐っている三木鮎郎が

 

「テレビを見ている皆さんも、

曲がれ曲がれと念じてください、

そうすればきっと曲がると(ユリ・ゲラーは)

言っています」と通訳する。

 

 

 やがてカメラはフォークの先が、

柄のところからズレたように曲がるのを映し出した。

 

 


「あ、くにゃくにゃになった。

 

彼は撫でているだけですよ」と三木が驚いたように言う。

 

フォークがアップで映し出されると、

柄の部分に2箇所亀裂が入っているのがわかる。

 

ユリ・ゲラーは三木にフォークの先を持たせ、

左手の親指で亀裂が入った部分を擦り続ける。

 

 

 すると突然、

フォークの柄がポトリとテーブルの上に落ちた。

 

会場から小さなどよめきが起きる。

 

「完全に折れましたね」と三木が言い、

次の瞬間、会場は拍手に包まれる……。

 

 この間、6分30秒ほど。

現在のせわしいテンポのテレビを

見慣れている者からすると、

間延びするくらいじっくりと

カメラはフォーク曲げを映し続けていた。

 

 

これは冗談じゃない、やばいね

 
 

 収録番組の放映が終わると、

カメラは生のスタジオに切り替わる。

 

約束の8時35分になる前から、

スタジオに待機した女性オペレーターたちの電話に、

視聴者からの報告がひっきりなしに届きはじめていた。

 

 

「スプーンが2本曲がりました」

「壊れた時計が4つ動きだしました」

「秒針が曲がってしまったんです」

「電池が入っていない時計が動きだした」

「傘の柄が折れてしまったんです」

「さっきまであった右肘の痛みが消えてしまった」

「壊れたテレビが映りはじめた」等々。

 

 

 司会の三木鮎郎は、

そうした視聴者からの電話を受けつつ、

自らも壊れた腕時計を触っていたが、

突然表情を変えた。

 

 

「動いたよ、動いたよ、おい。やばいね……

これは驚きました……。動いてますよ、

たしかに。

だってたしかに止まってましたよ……

これは冗談じゃない、やばいね」

 

 

 番組中に視聴者からかかってきた電話は、

オペレーターが受け取った数だけで332本。

 

電話が殺到したために、

電話局から苦情が来て、

番組の途中で電話の受け付けを中止したほどだった。

 

演出がほとんどないため、

スタジオ内の混乱ぶりがよく伝わってくる。

 

 

 科学者の大谷は、

「どういう力が働いたか、今の段階では言えない。

 

まだわかりませんが、

研究する価値のあることだとは思います」とコメント。

 

 

 やがて番組は、

困惑する三木鮎郎のこんな言葉で、

やや唐突に終了する。

 

 

「わたしも司会をやりながら、

半信半疑でいたんですが、

(ユリ・ゲラーは)やりますね……。

 

いまだに電話が鳴っております。

目の当たりに見た事実は、本当です……」

 

 

矢追ちゃん、こいつは本物だよ

 
 

 矢追純一がユリ・ゲラーの存在を知ったのは

番組の約1年前だった。

 

超常現象の研究所を自費で設立した

アメリカ人の元宇宙飛行士、

エドガー・ミッチェル博士を訪ねたとき、

強いパワーを持つイスラエル人の

超能力者(ユリ・ゲラー)を紹介されたのである。

 

 

 もっともユリはその時所在不明で、

矢追が直接本人にあったのは、

それから数週間後のニューヨーク。ユリ・ゲラーの秘書をしている

日系2世の女性に偶然出会い、

ユリの住む一番街の高級マンションを訪れたのだ。

 

そこでユリは、

矢追が現地で買ったばかりの金属性のパイプの道具を、

目の前で擦って折ってしまった。

 

 

「超常現象を信じないカメラマンが、

その一部始終を撮影していて、

『矢追ちゃん、こいつは本物だよ』と言ったんです。

 

これをテレビでやれば、

科学者たちが見て人間の未知の能力を

研究するのではないかと考えた。

 

そこで彼を日本に呼ぶことにしたんです」

 

 そもそも矢追はなぜUFOや超能力に

興味を持つようになったのか。

 

 

 彼が日本テレビに入社したのは昭和35年。

それまでテレビとは街頭で見るもので、

力道山の会社だと思っていたという。

 

訪れた日テレは「2階建てのプレハブくらいの社屋」で、

入社直後からドラマの演出をやらされた。

 

「演出の何たるかも知らないでやらされていた。

 

ドラマが嫌いだったから視聴率も取れない。

 

ドラマ演出をクビになって、

バラエティの演出をやっていた頃、

日本初の深夜番組『11PM』が始まった。

 

どの部署でも仕事ができない鼻つまみ者が集まって、

個性的な番組を作り始めた。

 

プロデューサーは『おまえたち、好きなことを勝手にやれ。

 

ケツはオレが拭く』と言う人で、

だからこそ活気のある面白い番組ができたんです」

 

 

 好きなことをやれ、

と言われて矢追が考えたのは、

「みんなに空を見せてやろう」ということだった。

 

時代は昭和40年代後半、

高度成長期の終わり頃。道行く人々は、

目的地しか見ないで、ゾンビのように歩いている。

 

彼らを立ち止まらせ、空を見てもらいたかった。

「精神的に余裕を持たないと

日本は今にダメになる」、と思ったのだ。

 

 

 もっとも「空を見せる」といっても、

考え付くのは星座くらい。

どうしようかと悩み本屋に入って目に入ったのが

空飛ぶ円盤の本だった。

 

「立ち読みしたら、

どうやら地球には宇宙人が来ているらしい。

よしこれでいこうと」、発想は単純だった。

 

 

「11PM」でのUFO番組が好評を博し、

やがて売れっ子のディレクターになる。

 

そんな頃、

取材先のアメリカでユリ・ゲラーと出会ったのである。

 

  

世界はもっと複雑で不確かなもの

 
 

 もともと矢追には、絶対的な世界などどこにもない

、という思いがあるという。

 

それは彼の生い立ちと関係がある。

生まれは満州で、父親は日本政府の高級官僚だった。

満州では白亜の御殿に住み、

何不自由のない少年時代を送っていた。

 

ところが終戦を境に世界が180度反転する。

 

昨日までの使用人に家を追い出され、

家族は路頭に迷う。

 

 

 守ってくれる国家も法律もなく、

母親の着物や煙草を売るため幼い妹たちと

寒空に立つような日々を過ごす。

 

2年後に引き揚げてきたが、

その少年時代の体験は彼の価値観に大きな影響を与えた。

 

 

「僕らのいる世界というのは、

みなが考えているほど単純なものではなくて、

もっと複雑で、不確かなものなんです。

 

ないと思っていることがありうる世界なんです。

 

でも大部分の人は、

安住の地に住みたいがために、

自分の中で世界観をつくり、

それに反するものは認めようとしない。

 

 

 だから不思議なものが現れると、

既存の理屈でわかるものにすり替えようとする。

 

番組をつくるのに、それほど殊勝な考えはなかったんですが、

たまには空を見て、

宇宙的視野で物事を見つめることが

必要じゃないかと思ったのです」

 

 

 そうした考えを持つ矢追が、

ユリ・ゲラーに出会った。

 

イスラエルの出身で、

まさに既存の理屈では説明しきれない

パフォーマンスを行うユリ・ゲラー。

 

 

2人の間に何か通じ合うものがあり、

あの番組が誕生したのである。

 

 


<参考:>

 


1喧嘩はするな、
2意地悪はするな、
3過去をくよくよするな、
4先を見通して暮らせよ、
5困っている人を助けよ、

 


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