〈そうしているうちに彼女は、
無常ということは、
神がみさえも免れることのできない、
世の定めであることにおのずから気づいた。
ブッダのもとに戻った彼女は出家を申し出て許され、
修行に専心し、
のちに、ついに解脱して聖者となった。
バシャムはこの物語を紹介し、
そこにあらわれるブッダの教化の仕方と、
つぎつぎに病人をいやし、
死者をよみがえらせる奇跡を行った
イエスの教化とのあいだに
対照的な相違のあることを強調している。
ブッダは常に、
静かにものごとの本質を指し示して見せた。
そして神変や奇跡を行うわけでもなく、
人びとがみずから真理に気づくのを待った。〉
また、つづく部分では、
ブッダの教えのポイントである
「八正道」について端的に紹介されています。
〈彼は四つの真理を教えた。
苦・苦の原因・苦の消滅・苦の消滅にいたる道、
の四つである。
ブッダのいう苦とは、
生まれること・老いること・病・そして死の四苦であり、
また、
憎らしい者に会う苦悩・愛する者と
別れる苦悩・欲しいものが手に入らない
苦悩・要するに身心の要素はすべて
苦悩である、
ということ
(四苦とあわせて八苦という)であった。
人間の苦にはさまざまなものがある。
戦争・暴力・盗難・恋愛の悩み・家庭問題などなど。
ブッダは、
しかし、そのようなさまざまな現象としての苦よりも、
本質としての苦に主要な関心をもっていた。
少壮のなかにも老いと病はある、
生まれることのなかにすでに死がある、
とブッダは教える。
なぜなら、
身心としての人間の存在そのものが苦であるから。〉
〈しかし、ブッダは苦を、
そして人間存在を実体としてはとらえなかった。
形体・感受・表象・意欲・認識という
身心の諸要素に実体はない。
もし形体あるものに不変不滅の実体があるならば、
身体が病気になることはないであろう。
私の身体はこうあってほしい、
こうあってほしくない、といえるであろう。
しかし形体あるものには実体がないから、
身体は病気になるのだし、
意のままにすることもできないのである。
感受も表象も意欲も認識も同じである。
これら五要素は永久に存続せず、
常に移り変わるものであり、
したがって苦である。
永続せず、移り変わり、苦であるものを、
これは私だ、私のものだ、
私の実体だ、ということはできない。
こうして、
五つの要素、つまり、
あらゆるものは無常であり、
苦であり、実体(自我)のないものである、と教える。
苦は、いいかえれば、あらゆるものは、
実体としてどこかからやってきたのでもないし、
どこかへ去ってゆくわけでもない。
それは、
原因・条件の集まりによって生じ、
原因・条件が欠ければ滅する。
そして、その苦の滅こそが絶対の平安である。
苦の原因とは欲望と無知である。
欲望と無知を滅すれば絶対の
安らぎがある。
絶対の安らぎにいたる道は、
正しく見ること・
正しく考えること・
正しい言葉を用いること・
正しく行動すること・
正しく生活すること・
正しく努力すること・
正しく留意すること・
正しく瞑想することの
八つ(八正道)である。〉