2024/12/23

「2050年に地球温暖化による破局が来る!」と怯える前に、酸素と水と食料の現実の話をしよう

 
 
 
 
 
 
 

「2050年に地球温暖化

による破局が来る!」

と怯える前に、

酸素と水と食料の現実の話をしよう

ガラスの地球

 

 

「アマゾンの熱帯雨林が減ると酸素供給が減る!」。

 

かつてフランスのマクロン大統領はこう叫んで人々を脅したが、

 

これはまったく科学的な態度ではなかった。

 

アマゾン以上に、「2050年の地球温暖化の危機」は、

環境問題に取り組む政治家たちにとってホットなテーマだが、

マクロン同様に科学は脇に押しのけられている。

 

実際のところ温暖化の進展は、

人類の生存に不可欠な酸素・水・

食料の供給にどう影響するのか、

 

これらの問題を横断的に研究している専門家が解説する。

 

 

世界の温暖化が進んでいけば

酸素と水と食料はどうなる?

 
 

人類の生存に欠かせない、

酸素と水と食料という3つのものに立ち戻り、

温暖化する地球でそれらの供給がどうなりそうか、

考えてみよう。

 

 

大気中の酸素濃度は、

温室効果ガスが引き起こす

気温のわずかな変化には影響を受けないが、

 

人間が引き起こす地球温暖化の主な原因、

すなわち化石燃料の燃焼のせいで、

ほんの少しばかり低下している。

 

 

最近では、

1年当たり約270億トンの酸素が、

化石燃料の燃焼によって大気から

取り除かれているのだ。

 

 

森林火災や家畜の呼吸によって

失われる分も考慮に入れると、

 

大気に含まれる酸素の毎年の正味の減少量は、

21世紀初頭には約210億トンとされた。

 

 

これは、

大気中に存在している酸素の、

1年当たり0.002%足らずの減少という計算になる。

 

大気中の酸素濃度を直接測定することで、

このわずかな減少が確認されている。近年、

それは約4ppmに相当する。

 

空気には100万分子当たり21万近くの

酸素分子が含まれているので、

これは毎年0.002%の低下となる。

 

 

この割合でいくと、

大気中の酸素濃度が3%下がるまでに

1500年かかる。これは、

 

西ローマ帝国が滅亡してから過ぎた年月に、

ほぼ等しい。

 

だが、実際の酸素濃度の点で言うと、

この減少は、

海抜0メートルに近いニューヨーク市から

標高1288メートルのソルトレイクシティに

移る程度の違いでしかない。

 

 

石炭、原油、天然ガスという、

すべての化石燃料の、

世界中で知られているかぎりの資源量を採掘するのは、

 

大半の鉱床が微量であるため、

コストがかかり過ぎて不可能なのだが、

 

仮に全部掘り出して燃やしたとしても、

大気中の酸素濃度は、

たった0.25%しか下がらないだろう。

 

 

酸素については心配無用だが


将来の水の供給は憂慮すべき

 
 

花粉アレルゲンから、

都市での屋外の大気汚染や田園地帯での

屋内の調理由来の空気の汚れまで、

多くの理由で、

不幸にも何億もの人が呼吸をしづらくなっている。

 

 

だが、

森林火災や化石燃料の燃焼によって大気中の

酸素が消費されて減る事態を、

 

考えられる範囲でどれだけ想定しても、

それで呼吸が困難になるリスクはまったくない。

 

 

そのうえ、

きわめて重要な天然資源のうちでも、

酸素ほどアクセスが平等なものはない。

 

地元の大気汚染のレベルがどれほどであろうと、

世界中のどの場所でも、

 

標高が同じであれば、

誰もが同一の濃度の酸素を

思う存分吸い込むことができる。

 

 

そして、チベットやアンデス山脈といった

標高の高い場所に暮らしている人々は、

 

血中のヘモグロビン濃度を上げることをはじめとして、

低い酸素濃度に対する多くの

目覚ましい適応を見せてきた。

 

 

要するに、

酸素については心配すべきではないということだ。

 

 

一方、水の供給の将来については、

憂慮しなくてはならない。

 

地域や国家や全世界のレベルでの多くのモデルを使って、

将来の水の利用可能性が検討されてきた。

 

 

 
最悪の筋書きは一般に悪化する
 
一方の見通しを提示するものの、
 
 
人口増加とそれに伴う水の需要に関して
 
どのような前提に拠って立つ必要があるか次第で、
 
 
そうとう不確かなところがある。
 
 
 
最大2度(摂氏)までの温暖化では、
 
気候変動によって悪化した水の欠乏に直面する人は、
 
 
少なければ5億人、
 
多ければ31億人になるかもしれない。
 
 

1人当たりの水の供給は世界中で減るだろうが、

ラプラタ川やミシシッピ川、ドナウ川、

ガンジス川などの主要河川の流域は、

 

欠乏レベルよりもはるかに上の状態にとどまるだろう。

 

一方、

すでに水量が乏しくなっている河川の流域の一部は、

さらに状況が悪化する。特にはなはだしいのは、

 

トルコとイラクを流れるティグリス川と

ユーフラテス川や、

中国の黄河かもしれない。

 

 

水不足対策の鍵は需要管理


少ない水でのやりくりは可能

 
 

だが、需要主導型の淡水の欠乏のほうが、

気候変動に起因する不足よりもはるかに

影響が大きいということで、

 

ほとんどの研究の示す見解が一致している。

 

需要の管理であり、

それがうまくいっている大規模な例の1つが、

 

アメリカで近年に見られる

1人当たりの水の利用量の削減だ。

 

 

2015年のアメリカ全体の水使用量は、

1965年の使用量よりもわずか

4%足らずしか多くなかった。

 

 

だがその50年間に、人口は68%増え、

GDPは実質ベースで4倍以上になり、

灌漑されている農地は約40%増加した。

 

 

 

つまり、

1人当たりの水の使用量は40%近く減少し、

アメリカ経済の水集約度

(実質GDPの単位当たりの水の単位)は76%下がり、

 

灌漑に使われる水の合計量は

2015年にはじつはわずかに減ったので、

 

農地の単位面積当たりの使用量は

3分の1近く少なくなった。

 

 

当然ながら、こうした水の使用のすべてで、

さらなる削減を行うのには物理的な限度があるが、

 

このアメリカの実例は、

大幅な改善の余地があることを示している。

 

 

飲料水の不足は、

脱塩によって緩和することができる。

 

太陽熱蒸留から半透膜の利用まで、

さまざまな手法で海水から塩分を取り除くのだ。

 
 
 
 
多くの水不足の国で一般的になってきており、
 
 
 
世界中におよそ1万8000か所の
 
海水淡水化プラントがあるが、
 
 
貯水池やリサイクルから供給する淡水よりも、
 
コストがかなり多くかかる。
 
 

降水量が1~2割減っても


農作物の収量はアップする!?

 
 

作物に必要な水の量は、

飲料水よりは桁違いに多い。

 

そして、世界の食料生産は、

今後も降雨に頼り続けることになる。

 

やがて来る温暖化した世界では、

十分な雨が降るだろうか?

 

 

光合成は常に、

葉の中の水と大気中の二酸化炭素との、

極端に不均衡な交換だ。

 

 

植物は、

光合成のために十分な炭素を取り込もうとして

葉の裏側にある気孔を開くたびに、

大量の水を失う。

 

 

たとえば、

小麦全体の蒸散効率

(単位当たりの水で生み出されるバイオマス)は、

1キログラム当たり5.6~7.5グラムであり、

 

これは、

穀物の収量1キログラム当たり

約240~330キログラムの水という計算になる。

 

 

水循環は地球温暖化によって否応なく盛んになる。

 

気温が上がると蒸発量が増えるからだ。

 

その結果、

全体として降水量が増し、したがって、

集めて、溜めて、使うことができる水も多くなる。

 

 

ところが、全体として降水量が増加しても、

あらゆる場所で降水量が増えるわけではないし、

 

これまた重要なのだが、

水が最も必要とされるときに雨が多く降るわけでもない。

 

気候の温暖化に関連した他の多くの変化と同じで、

降水量の増大も場所によってばらつきがある。

 

 

今日よりも雨が降らなくなる地域もあれば、

中国の厖大な人口の大半が暮らしている長江流域など、

 

大幅に降水量が増す地域もあるし、

この増量は、水ストレスの高い環境に住んでいる人の

数のわずかな減少につながることが見込まれている。

 

 
 
 

降水量が増える場所の多くでは、

降水が不規則になる。

 

雨や雪の頻度が減るものの、

1回の量が増え、壊滅的にさえなるだろう。

 

 

大気が暖まると、

植物からの水分の喪失(蒸発散量)も増えるが、

作物や森林が水を失って弱るわけではない。

 

 

大気中の二酸化炭素濃度が上がれば、

暖かくて二酸化炭素が豊富な生物圏が出現し、

単位収量当たりに必要な水が減る。

 

 

この効果はすでに一部の作物で測定されており、

最も一般的な光合成経路に

依存する主食穀物である小麦と米は、

 

それほど一般的ではないけれど、

本質的により効率的な光合成経路を使う

トウモロコシやサトウキビよりも、

 

水の利用効率の上昇幅が大きい。

 

 

つまり、

一部の地域では、降水量が10~20%減っても、

小麦などの作物から、

今日以上の収穫が得られる可能性があるのだ。

 

 

100億人以上を養うことが可能

 
 

世界の食料生産は、

地球温暖化を助長する微量ガスの重大な発生源でもある。

 

 

ここで言う微量ガスは主に二酸化炭素であり、

特に南アメリカやアフリカで依然として

行われているように、

 

 

森林や草地を農地に変えるときに発生する。

 

そして、

反芻する家畜が吐き出すメタンがそれに加わる。

 

 

だがこの現実は、

改善や調整の機会も提供してくれる。

 

毎年耕す量を減らしたり、

耕すのをやめたりして、

土壌中の有機物を増やし、

 

それによって炭素の貯留量も増やすような形で

作物を栽培することもできるだろうし、

 

牛肉を食べる量を減らして、

牛が吐き出すメタンを削減することもできるだろう。

 

 

私の計算では、

将来、牛肉の割合を下げ、豚肉と鶏肉、卵、

乳製品の割合を上げ、餌をより効率的に与え、

 

作物の残滓や食品加工の

副産物をもっとうまく利用すれば、

 

 

近年の世界的な食肉生産量を減らすことのないまま、

メタンの放出も含め、

家畜による環境への影響を大幅に抑えることができる。

 

 

より視野を拡げると、

2050年を過ぎて間もなく到達することが

見込まれる100億という将来の人口を、

 

4つのプラネタリー・バウンダリーの範囲内で

養うことができるかを、

ある最近の研究が検討した。

 

 

つまり、

地球とその住人たちを、生物圏の一体性、

土地の利用、淡水の利用、

 

窒素の循環の4つの点で限界を踏み越える

瀬戸際まで追い込まずに、

人々を養えるかを問うたのだ。

 

 

驚くまでもないが、

この研究の結論は以下のようなものだった。

 

すなわち、

これらの限界をすべて尊重したなら、

 

世界の食料生産システムが、

1人当たり約2400キロカロリーの

バランスの取れた日々の食事を

提供できるのはせいぜい34億人だが、

 

 

農耕地を再配分し、

水と養分を今よりもうまく管理し、

食品廃棄物を減らし、

食生活を調整すれば、

102億人を養えるという。

 

 

「2030年あるいは2050年に


世界は温暖化で破局する」はウソ

 
 

呼吸と水分摂取と食物摂取という、

生きていくうえで必須の3要素を、

 

このように正しい情報に基づいて眺めてみると、

結論は一致する。

 

 

2030年あるいは2050年

〔IPCCが二酸化炭素削減の指標とした年で、

 

2030年に2019年のCO2排出量から48%、

2050年に99%の削減を提示している〕

までに破局を迎える必然性はない。

 

 

酸素は、依然として豊富であり続ける。

 

水の供給に関する懸念は多くの地域で増大するが、

それはあらかじめわかっていることなので、

 

命を脅かすような大規模な不足をすべて

回避するのに必要な手段が講じられてしかるべきだ。

 

 

そして、私たちは低所得国での1人当たりの

平均的な食料供給を維持するだけでなく改善する一方、

 

富裕国では過剰な生産を減らすべきだ。

 

とはいえ、

これらの措置を取っても、

世界人口を養うための食料生産における、

 

化石燃料補助への直接的・間接的依存を

軽減することはできても、

なくすことはできないだろう。

 

 

 

書影『世界の本当の仕組み エネルギー、食料、材料、グローバル化、リスク、環境、そして未来』(草思社)

バーツラフ・シュミル著、柴田裕之訳

 

 

そして、

化石燃料の使用の削減は、迅速に行うことはできない。

 

つまり、今後何十年にもわたって、

化石燃料の燃焼が世界の気候変動の

原動力であり続けるということだ。

 

 

では、

それは地球温暖化の長期的な傾向に

どのような影響を与えるだろうか?

 

 

地球温暖化が引き起こす海面上昇の

害を真っ先に受けるのは必然的に、

 

沿岸の低地全般、

特に太平洋の島嶼国だと、

あなたは何度聞かされたことだろう?

 

 

それにもかかわらず、

フィジーの北、ソロモン諸島の東に位置する

太平洋の環状珊瑚礁島国家ツバルの

全101島で40年間に見られた海岸線の

変化を最近分析したところ、

 

この国の陸地面積がじつは

3%近く増えていることがわかった。

 

先入観に基づき、

軽率に一般化して結論を下すことは、

常に避けるべきだ。

 

 

  

<参考:>